Artist comment

2022

コンセプト/コメント ( drawing work )
絵画制作は、画面との対話である。そして、目の前にある画面に働きかけるとき、それは自己と向き合う作業でもある。線を引くことは、声を発することに近い。まっさらな空間に、触りたいという欲望からはじまり、一旦線が引かれれば、今度は、そこに何かを見出したいという、見たい欲求が高まる。このとき見たい欲は、とても支配的に希求する。
制作においてはバランスをとることが重要で、私は画面と対峙する中で、画面との接触点を感じながら、過剰に作用する「みたい側」の自分とも葛藤している。このみたい側の欲求は、過剰になると画面を黒くする。それはまるで一方的な侵略のようで、私はそうなることは望んでいない。
drawing 制作においては、どのように画面と関わるのか、聞いて話してやりとりをして、一体どこに着地していくのか、そこに自分の興味がある。
このときのバランス感覚が、絵を描くときの、画家の美意識になるのではないかと思う。
私の美意識は、たぶん、無我の中に立脚しようとするところがある。無我とは仏教用語で我意、私心がないことを指す。立脚とは足場をつくることを指す。
それは矛盾していることのようにも思う。しかし意識的であることと無意識的であることの両方は、同時に起きている。私は制作の過程で現れる心的事象をコントロールしたいと思いながら、同時に何も支配(Domination)したくないとも思っている。イメージの否定は、固着化への抵抗から生じていて、絶えず進化と安定のジレンマの中にいることを認識しているのだと思う。
また、私の美意識は、イメージの否定からはじまり、周縁の外側にあるものを内側に取り込もうとする性質、また、醜いものや恐ろしいものという拒否の線引きを組みかえて、肯定的に捉えなおそうとする性質を持っている。
自分の枠をはずしていく作業が、drawingでは線のふるまいとして表れている。
また、自己の中の痛みや表現し得なかった悲しみは、作品というレイヤー上でなら、憚りなく自由に出すことができ、そして、絵画は画面との対話なので、他の他者を誰も傷つけることなく、精神を昇華する現場となることもちょうどいいと思っている。
痛みの軌跡は、梱包されて保存されたとき、生命のエネルギーを垣間見る装置になる。
それは、もしかしたら誰かにとって、有用なものになるかもしれない。という漠然とした希望を持って制作している。

(2022年6月23日 篠田ゆき)


様々な活動の結果、最も自然に表現していける手法として、drawingの追求をしはじめた。
線と画面と身体性について、理想的な状態を探り、画面と対話する形で制作を行う。無意識と意識のせめぎ合いの中から、イメージに捕われずに線そのものの魅力を見出すことで、絵画空間としての成立を目指す。それは観る側にも解釈の余白をつくるのではないかと思う。
また、歴史、美術史、文化史、など学問的な研究にも取り組み、より深い多層的な視点から、よりよい作品制作をしていきたい。
アーティストとしての自覚とコンセプトを磨き、本質に近い仕事をしていくことを目指します。

(2022年1月18日 篠田ゆき)



2021

「思いを馳せる」ことを、大切にしている。
さまざまな環境や事物に出会い、その場所を起点に制作を行う。制作は無意識を読み解く過程。何かを理解していく中で、その結果生まれるものを見たいと思っている。

2020

他者と時空間を共有するということは

オンラインよりも、現実に出会い、場を共有し合うことが、無意識にも作用して、それは世界に対する認識を広げていたように思う。

自分の空間の中から全く別の画面越しにいる他者まで、どのようにして思いを馳せ、想像することができるだろうか。

その想像は、自分の領域の範疇をこえられるのか?

人間が、自らの経験・体感したものからイメージを作り出すのなら、まだ知らない他の誰かの住む世界のことについて、思いを巡らせる とは何だろうか。

情報は、幻想をつくる。

その情報だけで、それだけでは、それは全てではないのかもしれない。

知っているという幻の、違いを忘れてしまう現象について、意識しておきたい。


篠田ゆき

2019

I think the existence of myself is made up of various elements of the world I have encountered so far.

Yuki Shinoda


私という存在は、世界によってつくられている。

身体は、父と母によって産み出され、あらゆる摂取した食べ物が今の私の血肉をつくる。

好みは、成育した環境の中で出会ってきた、あらゆる人や様々な出来事の経験から。

考えは、これまでに触れ合った他者や他者の思想から。

何と出会い、どんな環境にいたか、その与えられてきた条件の中で、「私」は、今これからや在り方を選んだ。

その選択の基準は、やはり私を取り巻く世界によってつくられているのではないかと思う。

今ここに来るまでに、たくさんの人の想いがあり、その想いによって生かされているという

奇妙な、あたりまえすぎるような奇跡に想いを馳せると、なぜ私がアートをやるのかという問いに、シンプルに答えられる。

それが、たぶん私のすべきことだから。

「私」ではない、私をつくったすべてのものへ、敬意と感謝と畏れを持って接する時、私の仕事は、「私」を超えていく。

そして、私は良い仕事がしたい。

篠田 ゆき